ここ数日の雨で多少我が家の井戸の水位はあがったものの、水不足はまだまだ解消せず。このまま梅雨明けされると夏はさらなる水不足も予想されます。水を汲んできてタンクへ入れる運用では不便なため、今年の春先に掘った新しい井戸から自宅へつなげる配管の工事に着手しました。
地球は水の惑星と言われるほど水が豊富なのですが、私たちが利用できるのはそのうちのわずか0.01%。日本の通常の家庭では、飲料水にも使えるレベルの貴重な水を1日に約500L~1000L近くもジャブジャブ使っていますが、世界中で最も贅沢なのかもしれません。日本では、水と安全はタダ、なんてことを言われてきましたが、水がダイヤよりも貴重になる日が来るかもしれませんね。
またしても深刻な水不足。しかも梅雨の真っ最中にです。
各地で大雨や洪水等の報道が相次ぐ中、丸森町耕野地区ではまたしても水不足で、我が家でも水不足が深刻です。データを調べてみたら、丸森町では直近30日の比較で、例年比で18%しか雨が降っていません。すなわち、例年よりも80%以上も雨が少ないということです。
いつもの年なら一年中で一番井戸の水量があるときに、我が家では風呂が使えない状態までになっていました。井戸の中はスカスカ。緊急用に用意した貯水タンクを使うことになりました。農業用のため池もかなりの水位低下で、このまま梅雨が明けてしまうとさらに深刻な事態になります。
降る所では極端に雨が降るのに、降らないところには全く降らない。いったいどうなっているのでしょうか?
今後の雨に期待するばかりです。災害級に降られても困るのですが…。
久しぶりの投稿になりました。
所用もあって山形へ。少し足を延ばして久しぶりに庄内まで行きました。羽黒山神社に参拝し、加茂水族館でクラゲを見て、リニューアルした道の駅などをまわりました。
羽黒で地元の人と話す機会がありました。やはり、庄内でも水不足を危惧していました。私も何度も冬に山形に帰省したので実感はしてはいましたが、降雪量が少なかったことが致命的になりかねないとのこと。
月山、鳥海山等、庄内平野に水の恵みをもたらす雪が山に無いのです。そもそも梅雨の降雨量が太平洋側に比べて少ない日本海側の地域において、山の雪は夏の給水の命綱。
一部で予測されているように今夏が酷暑だとするならば、日本有数の米どころの庄内平野は致命的な打撃を受けるのではないか、と危惧しています。
今夏は全国的に猛暑と水不足が問題になるかもしれません。
それは一部地域の問題ではなく、水と食料の不足は全国で起きる可能性もあると思います。
40代以上の方は記憶にあると思いますが、1993年には、天候不順のため米が致命的に不作となり、タイなどから米を緊急輸入する事態になりました。米が余ることはあっても国産米が食べられない経験は皆さんあまりないのではないでしょうか。
今年から来年にかけて、それを経験するかもしれません。米などの食料を外国からの輸入で乗り切れる状況であるかは、その時になってみないとわかりませんが。
米と水。人間の命を支えるものが如何に貴重であるか。近々、私たちはそれを知るための経験をすることになるかもしれませんね。
そうならないことを祈るばかりです。
我が家の井戸の水位が低下しているため、新たな水脈を探して井戸を掘りました。
重機で表層の黒くて柔らかい層を掘り進めると、性質が異なる層が出てきます。表層の下に形成されている砂地の層や砂利の層などが帯水層になっている場合があって、そこから水がチョロチョロと染み出てくる部分があります。そこを上手く見つけられるかどうかなのです。
人によっては水が噴き出す自噴の井戸のイメージがあると思いますが、それは圧力がかかるような少なくとも数百メートルの深層の場合であって、我々が掘るような深さ数メートルの浅井戸の場合にはチョロチョロと染み出す程度に水が出てくる場合が殆どです。その染み出した水を溜める領域を作って、そこから溜まった水をくみ上げて利用するのが浅井戸の構造なのです。
水が染み出してくる帯水層を見つけたら、そのエリアを掘り進めて広げ、そこに砕石を敷きます。その上にヒューム管と呼ばれるコンクリートの菅を積み上げて水が溜まる領域を作ります。ヒューム管の周囲には砕石を入れて水が溜まる領域を広くします。それが、いわゆる「袋」と呼ばれる領域です。
ある程度の深さまで砕石を入れたところで、その上は土で覆います。砕石の領域を上まで広げすぎると雨水などの表層水が混じるため、砕石の上は土で覆ったほうが良いのですが、その場合に砕石の部分に土が落ちないようにブルーシートを敷きます。埋め戻した表層の土をならしたところでひとまず完成です。このあと、水を取り出すための配管を取り付けることになります。
土地の状態や湿り具合などを通年よく観察して十分にあたりをつけて臨んだつもりでしたが、それでも1回目に掘った場所では十分に水が出なくて、2回目で水量が豊富な水脈にあたりました。しかし、井戸掘りは何か所掘ってもダメな場合もあって、2か所目で良い水脈に当たったのは非常に幸運でした。
1か所目に掘った場所と2か所目に掘った場所は、わずか数十メートルしか離れていません。それでも、最初に掘った場所では水位が数十センチ、2か所目に掘った場所では、数日で掘った穴からあふれるくらいの水量でした。ほんの少しずれただけでもこれほど流量が異なるのです。
井戸掘りは、ある程度ギャンブルに似たところがあります。しかし、たとえ当たったとしてもその水脈からどれくらの期間、水が出続けているかは誰にもわかりません。地面の下のことは本当にわかりません。
しかし、地面の下のことに限らず、自然からの恵みとはそんなものかもしれません。常にあるとは限らず、見つかることも見つからないこともあるもの。だからこそ、ありがたいもの。感謝していただくべきもの。
それが、大地の恵みであり、私たちが忘れてしまったことなのかもしれません。
口座引き落としの手続きさえしておけば行政がやってくれるもの、とばかり考えずに、時には自分が飲んでいる水がどこからやってきて、どうやって供給されているのか、考えてみるのも良いかもしれません。
ここ宮城県丸森町耕野地区は水道設備が無く井戸水で生活する地域ですが、昨年から危機的な水不足が続いております。先日の雨と雪で少し落ち着いたものの、引き続き予断を許さない状況です。
我が家でも新たな井戸を掘ることを計画していますが、当然ながらどこを掘っても水がでるものではなく、ある程度「あたり」をつけることが大切です。
私がこの地区に移住してきて間もない頃、地区の経験豊かな長老の方々から水脈の話を聞いたことがありました。「自然を良く観察していれば、ある程度は水脈がわかるものだ」と言われました。経験的に水が良くでるところは皆さんよくご存じなのです。
昔の人は、そういう経験的に水が豊富なところであって、かつ農地には不向きなところ(北向きとか西向とかの斜面)に家を建てたものだそうです。生活の知恵ですね。
しかし、仮に上手く水が出たとしても、その水脈から永遠に水が豊富に出続けるとは限らず、長い間には枯れてしまったり水位が低下してしまったりすることもあります。地区内では、先祖が掘った井戸を複数持っている家もあります。重機がない時代は当然全て手掘りでした。先人の苦労がわかります。
現在、クリスマスローズのハウスが建っているところは棚田であり、その上のほうには先人が田んぼに使っていた堤(農業用の池)があります。先人は経験的に水が豊富に出る場所を知っていて堤を作ったのだと思います。
私がここに来た当初は、今よりも雨や雪が多く、逆にハウスのある土地(元の田んぼ)から水を抜くのに苦労しました。ハウスでクリスマスローズ栽培ができる程度にまで田んぼを乾かすために、あちこちに排水経路を作り、水を抜いたものです。しかし、今度は渇水で困ることになりました。昔を懐かしんでいても降らないものは仕方がないので対策するしかありません。
堤のある場所から、その下のほうに、いつも湿っている場所だとか、雨が降らなくても比較的に濡れている場所を探して直線で結んでいきます。そうすると、おおよそ、このように水が流れて行くであろう、水の流れる道がなんとなくですが分かってきます。そいうところが井戸を掘る候補地となるわけです。常日頃からの自然観察が非常に大切です。
もちろん、そうやって探したところでそこで水が出る保証はありませんし、自宅から遠い場合には配管でつなぐことは困難になります。しかし、やってみてナンボ、まずは水が出ないことには始まりません。タンクで運ぶことも考えなければなりません。
そもそも人間が水を確保するとは、水道局に電話することではなくて、そういうことだったのかもしれませんが。